プロフィール
1980年生まれ。最終学歴は地方の名も無い工業高校の電気科を卒業。
学生時代
1980年代と90年代はインターネットもスマホもありませんでしたので本物の情弱でした。
僕の頭の中はアニメとゲームだけで、将来どうするか?とか仕事は何をするか?など一度も考えたことはありませんでした。
学生時代は、小・中・高と「ぼっち」でしたね。
今でこそぼっちはいじめの対象になりやすいのかもしれませんが、僕の地元は田舎でいい人ばかりでしたので悪質ないじめを受けた経験はなかったです。
就職高校に進学したのに就職活動をしなかったため、卒業後すぐ無職に転落しました。
理由は、「正社員という生き方は自分には合わないな…」と漠然と思っていたからです。
社会人編
その後、実家を拠点に時給700円ぐらいのコンビニバイトをしながら、ハローワークやバイト雑誌を見て就職活動をちゃんと始める。
ちなみに、バイト先まで自転車で片道30分ぐらいかけてました。田舎ではあるあるなんですよね。
トヨタの期間工になる
バイト雑誌の一番目立つところでトヨタ自動車の期間工の求人広告を発見。高い給料に釣られて応募→面接→合格。この時の年齢は20歳でした。
トヨタ自動車の期間工は6ヶ月満了で退職しました。
この経験は僕にとって初めてなことばかりでした。それを以下に書きます。
- 地元の県外で就職した
- 集合住宅の寮で生活した
- 周りに家族や知り合いは1人もいない孤独な環境だった
- 自動車工場のライン作業がいかにキツイかを知った
- 日本を代表するような大企業の環境を経験できた
- 仕事はキツかったが手取りが想像よりも高かった
田舎の中小企業に就職するが…
期間満了後は田舎に帰って設備メーカーの中小企業に就職しました。主に配電盤の組み付けをしていました。
ここで実感したのは、田舎の中小企業では正社員であっても稼げない現実でした。
お給料は茶封筒を手渡しの18万円でした。お給料明細が電子化された現在では信じられないかもしれません。
しかも、工場はボロくて使っていた設備もかなり古かったのを今でも覚えています。
さらに、忙しい時期は残業が3時間を超えるのは当たり前でした。朝8時に出勤して夜の9時ごろに実家に帰って寝るだけの生活で苦しかったです。
基本週休2日なのですが、忙しいと土曜日も普通出勤をしてました。
平日は残業3時間で土曜日は当たり前に出勤してたのに、お給料は18万円のままでしたので就職して半年経つ頃にはやめようと考えてました。
なかなかコワモテの社長に言い出せずにいましたが、就職して10カ月後に無事退職しました。
本格的な自動車メーカーの非正規社員人生のスタート
田舎で中小企業の正社員をしていた時も求人雑誌はよく見てました。
その頃から工場派遣が解禁されたため、求人雑誌が急に分厚くなり、全国の工場の求人が掲載してました。
- 月収30万円〜可能!
- 寮費は無料!
- 入社しただけで祝い金がもらえる!※規定あり
- 大企業の正社員を目指せる!
いろんな誘い文句がありましたので、それに釣られて初めは長野県の某液晶メーカーの派遣社員になりました。
「え!? 長野県の液晶メーカーって稼げるの?」と思うかもしれませんが、当時は時給も一時金もそこは格別だったのです。
その後は、主に東海三県、北関東三県の自動車関連の工場を渡り歩いてきました。
そして、工場の非正規労働は今も続いています。